Personal room by s.yokoya
『新しい心と意識への潮流』−ペンローズとハメロフの量子脳理論−
1998.10.9
横屋正朗 Seirou Yokoya
今年の10月3日と4日、千葉県稲毛市と東京都の新宿区で、アメリカから来日したスチュアート・R・ハメロフ(Stuart R Hameroff )博士の特別講演会が開催された。−その後、名古屋、大阪の各地で同様の講演が開かれた−
その目的は、来年国連大学国際会議場で開催される予定の「(*1)脳と意識に関するtokyo'99」のプレコンファレンスであり、演題は「量子脳理論と意識(Quantum Brain Theory and Consciousness)」であった。
麻酔科医で心理学科教授でもあるハメロフ博士は、アリゾナ大学のヘルス・サイエンス・センターで半分は手術室での治療と講義に充て、その半分は「意識のメカニズム」について研究を行ってきた。
特にこれまでの25年間は、ニューロンを始めとする生細胞中で、蛋白質でできた高分子のネットワーク(微小管と骨格細胞)(写真1)が、どのようにして情報を処理し、生命活動を制御するかを調べてきた。
彼は脳のニューロン中の微小管( microtubules )
(写真2)が、脳の活動の中で、重要な役割を果たし
ているという考えを持ち、当時オックスフォード大学
で教鞭をとり、数理物理学の分野でリーダー的存在で
あるロジャー・ペンローズ(Roger Penrose )教授と1
994年からタッグを組み、微小管における量子干渉
の重ね合わせ状態が(*2)自己収縮( Orch OR Model)
を起こし、我々の意識の流れを作っているという「ペ
ンローズ・ハメロフモデル(Penrose-Hameroff model)
」を提案している。
千葉では科学技術庁放射線医学研究所の重粒子治療
推進棟2階の大会議室が講演会場にあてられた。そし
てハメロフ教授(写真3)は、ボタンダウンの半袖シ
ャツと濃紺のズボンにエンジ系のネクタイを絞め、フ
ォーマルな出で立ちで講演を行った。風貌は白いあご
髭をたたえた理知的な科学者タイプであったが、実像
はかなりエネルギッシュな人間であった。
ただ宣伝が行き届いていないせいか、会場に集まっ
てきた聴視者は、主催者側を含め60名たらずと予想
外に少なかったのが印象に残った。
翌日の東京講演は、新宿の工学院大学の高層煉で行
われた。講師陣には、玉川大学の学術研究所量子通信
研究部門の大崎正雄博士(写真4)が加わった。演題
は「量子情報通信研究と意識コンピューターの展望」
であり、生命科学、数理科学、情報科学の接点を目指
してという副題がついていた。
ところで、脳量子理論は、一体どんな理論だろう。
その話をする前に、心と意識の問題に物理的アプロー
チを行った一人の科学者に触れておきたい。それは1
995年に『心への階梯(Starway to the Mind) 』
を記した非線形力学の先駆者であるアルウィン・スコ
ット(Alwyn Scott)博士である。
彼はアリゾナ大学数学科、デンマーク・リングビ−
工科大学数理モデル研究所教授で、「ソリトン」とい
う非線形現象研究の第一人者でもある。彼は脳細胞の
ニューロンは、単体で動くのではなく、集合体として
働くと考えた。そして、その集合体は非線形として働
くため、心や意識が階層構造を持つという認識を持っ
ている。
人工知能の研究からスタートした機能主義的な考え
方から導かれた結論は、脳の活動は、あるアルゴリズ
ムによって置き変える事が可能であり、原理的にはコ
ンピュータで再現することが可能であると考えた。
しかし、ペンローズはその考え方に真っ向から反論
をした。ベスト・セラーになった『皇帝の新しい心(
The Emperor's New Mind)』(裸の王様のパロディで
、王様とは機能主義者達を指す)の中で、これらの機
能主義を徹底的に批判している。
ペンローズによれば「意識」はアルゴリズミックで
ない。したがってアルゴリズミックなマシンであるコ
ンピュータが、意識をもつことはあり得ないというの
が、この本の主題となっている。
彼は、その例として、数学上のアイデアを思いつく
際の経験について述べる。たとえば数学の定理という
のは『発明されるのではなく、発見されるものである
』という。発見されたばかりの数学概念は、まず漠然
としたイメージで語られるのであり、厳密な形式的記
述が与えられるのは、その後だというのだ。
1989年、「意識は量子の波動から生まれる」、
つまり「量子力学が人間の意識を生み出す」という大
胆な仮説を世界に広めたのは、ペンローズ博士が(*3)
最初だった。彼の論文や著書−「皇帝の新しい心」、
「心の投影(Shadows of the mind )」に記された
共通の主張は、心の動きには非計算的(non-computat
ional)な部分があるに違いない。
そして、人工知能の実現性はなく、脳についての現
在の理解は、不完全であるという考え方であった。そ
して新たなパラメーター(量子重力論)を用いて量子
論と一般相対性理論の統合を唱える。
ペンローズの主張や理論を数学や論理学に精通して
いない一般人が、その理論を理解し、素直に受け入れ
ることは容易なことではない。なぜなら彼のバックグ
ランドとなった数学や理論物理学の歴史的背景を熟知
した上で、彼のいわんとしている事を、解釈しなけれ
ばならないからだ。−実際にペンローズは「心の投影
」に事あるごとに反論してきた科学者達にでですら、
議論の論点がずれていると指摘する−
またペンローズは「数学的理解力は非計算的だと」
いう彼の主張が、しばしば数学世界だけの話であると
いう風に解釈され誤解されているという。 彼の議論
のポイントは、「もし数学において、我々が行う計算
に収まらないことが存在するならば、それは計算外の
事柄が実際に起こっているからだ」と、理論展開を行
う。そして、心や意識にある種の非アルゴリズム(計
算手順)的な物理作用が含まれている事を、彼独特の
数学的解釈や新しいルールに従って、まるでボクシン
グのジャブのように説明を繰り返す。
彼は、我々が棲むこの世界が、計算によって捉えら
れない様々な事象が存在すると考える。それは認識力
であり、質感であり、感情である。これらは非計算の
作用であると力説するのである。
その思考仮定の源には「ゲーテルの不完全性定理」
と「チューリング・マシン(Turing machine)」(写
真6)の問題があった。この二つの定理は等価であり
。ペンローズのいう「機械にできる事と」と「人間に
しかできない事」の理由の原点である。
ゲーテルの不完全性定理とは、1930年に数学者
のクルト・ゲーテルが数学界に大波紋を投じた定理で
ある。 それは自分が無矛盾である限り、自分が無矛
盾であることを知らないだけでなく、その論理体系の
中には、真であるか否かを決定できない命題(定理)
があるという数学上の言明であった。
その定理のアナロジーとして、「エピメニデスのパ
ラドックス(嘘つきのパラドックス)」がある。
ある時クレタ人の古代ギリシア人である哲学者エピ
メニデスが、「クレタ人は嘘つきだ」と言ったとする
。 もしこの「言葉」が真実であれば、自分自身が嘘
つきであることになり、その言葉も信用できない。一
方これが嘘だとすれば、クレタ人は正直という事にな
り、嘘をついたエピメニデス自身が、クレタ人である
ことに反してしまう。
つまり、エピネデスの言葉が、正しくても、嘘でも
、自分自身の真偽を確かめようとするとき問題が生じ
てくるという考え方なのだ。これは一般に「自己言及
のパラドックス」といわれている。 これらの定理は
、数学とは完全に論理的で、矛盾がまったくないと信
じていた当時の数学界に大きなインパクトを与えた。
またチューリング‐マシンとは、イギリス、オック
スフォード大学の数学者アラン・チューリングが、1
936年に提案した普遍的計算機の数学モデルで、有
限記憶媒体とその外部記憶媒体として、一次元無限長
のデーター記憶テープで構成されているものである。
この装置はテープの長さに制限がなく、仮にある解
法が存在するならば、マシンによってすべて解けるは
ずだと考えを基に仮想の装置である。しかし、任意の
チューリングマシンに空白のテープを与えた場合、そ
のマシンが結果的に停止するか、つまり解が与えられ
るかどうかについては、それを決定できるマシンは存
在しないこともチューリング自身が証明している。
つまり、ペンローズは「数学によってのみ、<意識
活動の一部分は計算できないことを証明できる>可能
性がある」と、言葉は控えめであるが、強く確信して
いるのである。
そして人間の意識はこれらの問題を超越している。
従ってコンピューターに意識は生まれないと考えるの
である。もちろん彼は夢想家ではなく、神秘主義者で
もない。彼の議論は数学的基盤に基づいて、人間はた
だの機械ではないことを証明し、さらに「量子重力理
論」を中心に、医学、心理学、哲学、生物学、天体物
理学等、あらゆる分野の科学者達を巻き込んで、脳と
意識の問題について、量子力学の分野から革命を起こ
そうとしているのである。
ペンローズは始め脳細胞(ニューロン)内部で、何
らかの量子力学的作用が生じる結果、意識が生まれる
と推測した。 脳細胞どうしは電気的なインパルス(
信号)を交換することによって情報処理を行う。そし
てこれらの信号は、無数の異なったパターンが量子力
学的干渉によって生じると考えたのだった。
だかこの仮定には大きな問題があった。生体の1個
の細胞には、活動的な分子と原子が満ちあふれており
、それらが出す熱的なノイズ(背景雑音)により、量
子力学的作用は、簡単にかき消されてしまうはずであ
る。ペンローズは、すぐにジレンマに落ちいっていた
しまったのだ。 そこに登場したのが、前述のハメロ
フのニューロンの微小管の研究である。
微小管は8ナノミクロンと4ナノミクロンのチューブリン(tubul
in )(写真4)という二種類の立体構造(comformatio
n)を持つ蛋白質( Microtubule-associated proteins,
MAPs )からできている。チューブンは変形した空豆状
の格好をしていて、αとβという二つの部分から成り
立つ(写真5)。それが管の円周部分に13列並び、
積み重なって微小管が形成されているのである。
微小管の内部では、チューブリンが2つの状態(com
formation)を行ったり来たりしており、これが(*4)セ
ル・オートマトンのように振る舞い、微小管に沿って
複雑な信号を走らせることになる。この仮説に従うと
、その配座の状態は質量運動を生じる。つまり、これ
がペンローズが指摘する量子系の干渉に相当するので
ある(写真6)。
一般の科学者や人工知能の研究者達は、脳は100
億個のニューロンというスイッチが繋がったものであ
ると考えている。ところがハメロフに言わせると、シ
ナプスを調整したり実際の情報処理を行うためには1
00億台のコンピューターが必要だという。ではその
コンピューター部分はニューロンのどこにあるのか。
その答えが微小管なのである。
また微小管で量子干渉が起こっているという仮説は
は検証が可能であるという。
その理由の一つは1981年にフランスの物理学者
アラン・アスペが偏光させた2個の光子使って、「非
局所的な量子干渉」が起こることを実証していること
であり、この種の実験を微小管(チューブリン)で、
ある条件を設定して行うことを博士は提言している。
そして、ギャップ結合で繋がった、数千数百という
異なるニューロン群のチューブリンで、光子を観測す
ることが、マクロスケールでも量子干渉が起こってい
るという仮説の検証となるというのである。
実際の量子干渉は3.5ナノメートルという長さのギャッ
プ結合で起こっているらしいとの予測をハメロフは立
てている。(写真7)つまり、電気的なギャップ結合
と同時発火する皮質ニューロン・ネットワークとの関
連性が証明できれば、意識の事象に関与していると説
明できるというのだ。
一方、日本でもノートルダム清心女子大学情報理学
研究所講師の治部眞里女史がギャップ結合で繋がった
40ヘルツの神経ネットの存在を予言している。
これらの実験は、ペンローズの主張(重力量子論)
や他の科学者のまったく異なる研究から得られたデー
ター(特に脳内における40ヘルツの振動の話)と一
致するらしい。それ以外にもハメロフは、(*5)PET
を使った実験も計画中とのことである。
前述の治部女史は同研究所所長の保江教授と共著「
脳と心の量子論」を書いているが、脳細胞の水の電気
双極子の凝集場が、電磁場の波動運動とシンクロして
ダイナミカルな秩序を生み出すという仮説を立ててい
る。水が意識を持つ。それはまるで「ソラリスの海」
(*6−写真8)を連想する。
カーネギーメロン大学ロボティック研究所のハンス
・モラベックによれば、2030年の頃には、毎秒1
0兆回の演算を行え、1千兆ビットの記憶容量を持ち
、人間の心を宿すのに十分な性能を持つコンピュータ
ーが開発され、それによって人間と等価の知能を持っ
たロボットが作れるようになると予測している。
さらに技術が進み、何十年か何百年後かは予測でき
ないが、「量子コンピューター」が開発される時代が
必ず到来するはずである。そのとき初めて「量子干渉
の重ね合わせ」という量子レベルの「意識の意味」が
クローズアップされ、現在行われているペンローズ・
ハメロフモデルの提言が、極めて重要な理論としてコ
ンピューターチップを開発する技術分野から見直され
るだろう。
巷には様々な脳科学理論があり、凡人の私にはどの
理論が正しい道しるべなのかはわからない。ただ、少
なくとも、マスコミや量子学と無縁だった科学者達に
火をつけ、科学論争に持ち込んだ点で、私はペンロー
ズに軍配を上げざるを得ない。 なぜなら彼の得意と
する「量子重力論」や「人間の意識」という問題を世
界中の人々に認知させ、広めたという目論見は、ある
程度達成されたからだ。(ペンローズ自身がどう思っ
ているかはわからないが・・・)
ハメロフ博士の講演時にあるデモンストレーション
が行われた。会場の中央部には、大きなビデオスクリ
ーンがあり、それと平行しカメラが置かれ、スクリー
ンがカメラで映された。するとその画面の中には、さ
らにスクリーンが映し出され、その中にはさらに、ス
クリーンが・・・。といった具合に、無限にスクリーン
が映し出されていく。
これは自己が自己について言及すると、無限のルー
プに落ち込んで、何事も証明できなくなるという「ゲ
ーテルの不完全性定理」の視覚的デモンストレーショ
ンにほかならない。
【参考文献等】
(*1)「脳と意識に関するtokyo'99国際会議」の問い合わせ先
ホームページ:http://www.ias.unu.edu/activities/tokyo99.html
(*2)自己収縮(Orch OR Model)= ORchestrated OR:組織化された「O
R」の意味。「OR」とはペンローズの量子重力理論と関係する「客観的
な波動関数の収縮(Objective Reduction )」であり、微小管で起こる「O
R」は、自己組織化され、全体として指揮者に従うオーケストラのように
調整される。
(*3)厳密には日本人の理論物理学者であった梅沢博士、高橋康博士の「場
の量子論(1960〜1970年) 」方がペンローズらより早かった
(*4)セル・オートマトン:現代のコンピューターの主流をなす処理方式を
発案したハンガリー出身の数学者のフォン・ノイマンが考えた生物と無生
物を統合する力学的モデル。自己複製をする機械。
(*5)PET(Positoron Emission tomography)=PECTともいう。核
医学検査に使われるCT(コンピューター断層撮影方法)で、主に陽電子
を放出するK-77、C-11,N-13,O-15を使用する。現在は脳の循環・代謝測定
に使われている。
(*6)ソラリスの海:1921年にポーランドで生まれたスタニスワフ・レ
ム(Stanislaw Lem)原作のSF「ソラリスの陽のものに(SOLARIS)」
の意味。星の全域をコロイド(原形質状)の海が覆い、一個の高等生命体
(ホメオスタシスを持つ)となっている不思議な惑星の話。惑星の調査に
きたソラリス・ステーションに滞在する科学者達の間で奇妙な事件が頻発
する。ソラリスは人の脳に直接働きかけ、人間の意識下にあるものを模倣
して形象化したり、実体化するカを持つ。「惑星ソラリス」という名で映
画化もされた名作。
【参考図書】
ロジャー・ペンローズ著「皇帝の新しい心」みすず書房
ロジャー・ペンローズ著「ペンローズの量子脳理論」徳間書店
ロジャー・ペンローズ著「心は量子で語れるか」講談社
ジョン・キャスティ著「複雑系による科学革命」講談社
治部眞里、保江邦夫著「脳と心の量子論」講談社
服部桂著「人工生命の世界」オーム社開発局
太田富雄・梶川博著「脳神経外科要説-第4版-」金芳堂
スタニスワフ・レム作「ソラリスの陽のものに」早川書房
「最新科学論シリーズ31−21世紀を動かす科学10大理論」学研
「最新科学論シリーズ−最新脳科学−」学研
「謎の科学30理論」(株)ユニバース出版社
参考文献:--量子脳理論の解説--東京工業大学社会理工学研究科 桜井進
Photo
写真1:微小管と骨格細胞の模型図 資料/S.Hameroff

写真2:電子顕微鏡で見た微小管 資料/S.Hameroff

写真3:公演中のスチュアート・ハメロフ博士 (c)Promedia

写真4:ハメロフ博士と懇談中の大崎正雄博士 (c)Promedia

写真5:微小管の構造とチューブリン 資料/S.Hameroff

写真6:チューリングマシンの構造 資料/人工生命の世界より

写真7:量子状態の収縮を受けるチューブリン 資料/S.Hameroff

写真8:時空間において量子状態の収縮を起こし、二つの形状に変化するチューブリン 資料/S.Hame
roff

写真9:「ソラリスの陽にもとに」 資料/早川文庫SF
